村尾政樹のブログ『伝える。』

ソーシャルセクターに勤める27歳の個人ブログ。仕事や活動の記録がメインです。

2016年の活動と自己紹介

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 2016年も深いご理解と温かいご支援・ご協力を賜り、本当にありがとうございました。今年も引き続き何卒よろしくお願いいたします。

 2016年は登壇や掲載などの機会が40回ありました。2015年までの機会も含めて100回以上の機会をいただき、心から御礼申し上げます。2017年は原点である母の死から15年が経過します。今まで支えていただいた人への感謝の想いを常に持ち、皆様のお役に立てられるよう今年も取り組みを進めてまいります。

▼2016年の主な活動記録

<2016年1月>

子どもと若者の成長を支えるウェブマガジン・ひみつ基地に記事が掲載

朝日新聞に共同研究調査結果に関する記事が掲載

毎日新聞に共同研究調査結果に関する記事が掲載

北海道石狩市で市役所職員や市議会議員に講演

<2016年2月>

朝日新聞『私の視点』に寄稿「子どもの貧困 行政の対策、鈍らせないで」

<2016年3月>

全国社会福祉協議会発行「月刊福祉4月号」にレポートが掲載

岡山県総社市総社市長と意見交換

北海道札幌市で「あすのば交流会・意見交換会」登壇

日本自殺総合対策学会フォーラム2016で登壇

<2016年4月>

事務局長を務める財団法人が内閣府から公益認定

厚木ロータリークラブの例会で講演「卓話 子どもの貧困」

『さっぽろ子ども・若者白書2016』に寄稿

<2016年5月>

琉球新報に記事が掲載「若者が動く!沖縄から 貧困解消へキャラバン

<2016年6月>

札幌市子ども・子育て会議臨時委員に就任、児童福祉部会に出席

公益財団法人あすのば1周年のつどいで登壇

社会福祉法人武蔵野会のセミナーにシンポジストとして登壇

<2016年7月>

沖縄タイムスに記事が掲載「貧困解決へ意見交換」

沖縄タイフーンエフエムで出演

沖縄県で「子どもの貧困対策 全国キャラバン」開催、登壇

沖縄タイムスに全国キャラバンの様子が掲載

琉球新報に全国キャラバンの様子が掲載

毎日新聞『ストーリー』面に特集記事が掲載

<2016年8月>

厚生労働省で共同研究調査結果の記者会見

毎日新聞に共同研究調査結果の記事が掲載

Yahoo!ニュースで特集記事が掲載

<2016年9月>

札幌市子ども・子育て会議児童福祉部会に出席

東京都港区主催講演会・シンポジウムに登壇

毎日新聞に記事が掲載「つなぐ18/逃げ場所をたくさん見つけよう」

若者自殺対策全国ネットワークフォーラムに登壇

ウェブメディアwithnewsに記事が掲載

<2016年10月>

長崎県大村市でワークショップの講師をつとめる

高知県で「子どもの貧困対策 全国キャラバン」開催、登壇

岡山県で講座・ワークショップの講師をつとめる

山陽新聞に講座・ワークショップの記事が掲載

ハフィントンポストに共同研究調査結果の記事が掲載

週刊女性『人間ドキュメント』に特集記事が掲載

山陽新聞のコラムで講演の内容について紹介

<2016年11月>

NHK教育テレビ『ハートネットTV』の密着取材がスタート

<2016年12月>

第2回あすのば全国集会でコーディネーターとして登壇

神奈川県のケースワーカー研修会で講師をつとめる

栃木県で「子どもの貧困対策 全国キャラバン」開催、登壇

東京都福生市の公民館の講座で講師をつとめる

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 村尾政樹(むらお まさき)

子どもの貧困対策を推進する『公益財団法人あすのば』事務局長。社会福祉士兵庫県神戸市生まれ、26歳。

小学6年の春に母が自殺で亡くなる。家庭環境から就職を考えて商業高校へ進学するが、同じ境遇の仲間との出会いをきっかけに進学を志す。北海道大学教育学部へ進学後、困難状況にある子どもや若者の主体形成について研究。2010年、北海道の自殺対策や子どもの貧困対策を推進するネットワークを立ち上げる。

大学卒業後は、札幌市で地域の子どもを支える公益法人に就職するが、進まない子どもの貧困対策への危機感から2015年に上京。全国で先駆的な取り組みを行う支援者や研究者、学生たちと財団法人を設立し、事務局長に就任。子どもや若者の「生きる」が肯定される社会を目指し、全国で活動を展開。体験談や子どもの声を伝える講演・新聞掲載の機会は100回を超え、多くの人に想いを届ける。

札幌市子ども・子育て会議臨時委員。トルコ留学時に出演した映画が第67回カンヌ国際映画祭パルムドール大賞受賞。

「頑張っても無駄じゃないか」あの子の涙は、もう見たくない

このたびハフィントンポストへ寄稿ができるようになりました。

こちらのブログも更新を続けますが、寄稿記事もご覧いただければ光栄です。

www.huffingtonpost.jp

 

伝える。8/名もなき子ども食堂と、大人になった「子ども」

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 名もなき子ども食堂は、変わっていなかった。変わったところは、お店の内装が黒めの色に塗り替えられていたところくらいだ。

 「あれ、壁の色変わった?」と、僕は店主のゆっこに聞く。久しぶりだから、変わっているところはたくさんあるかもしれないが…。

 「お!よく気づいたな!せやねん、変わってん。どう?」

 「暗いわ!」と、見知らぬおじさんがつっこんでくる。たぶん、常連さんだろう。

 「んー、シックな感じでええんちゃうかな。」僕は、遠慮気味に答えた。

 「若い子はそう言ってくれるねん。人ができてるわ笑」

 「テレビも地デジに変わったよな…。」今度は、父親がそう答える。

 「テレビは、そらみんな変わっとるわ!笑」ゆっこの優しく鋭いつっこみも変わっていなかった。

 この「名もなき子ども食堂」は、僕が高校生のときによく通っていたお好み焼き屋さんだ。ゆっこは、父親の同級生。僕は、放課後「よっ!」と一人で店に入り、「ごちそうさま!」と店を出る。代金は、いつも「ツケ」。時は、2006年~2008年。もちろん、子ども食堂という取組みは「なかった」。

 2009年に初めて子どもの貧困率が公表され、2013年に「子どもの貧困対策法」が成立した。法律成立後、各地で子ども食堂の取組みが広がり、今では全国で約300カ所以上と言われている。

 今晩は、還暦を迎えた父親のお祝いで約10年ぶりにお店へ向かった。

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 お好み焼きと焼きそばの少しあっさりとした、懐かしい味も変わっていなかった。母親は死んでいるので「おかんの味」とはこういうことなのかな、とお腹だけじゃなく何だか心までいっぱいになってくる。

 「ほら、覚えてる?この子、10年くらい前によく来てたやん。」ゆっこは、さっきの見知らぬおじさんに声をかける。

 「覚えてる、覚えてる。その辺に座ってたやんな。」おじさんにとって、僕は見知らぬ若者ではないようだ。

 お店では、お好み焼きや焼きそばと一緒に辛い「どろソース」が出される。僕は辛いのが苦手で普段は使わないが、今回は少しだけ試してみようとする。

 「上から塗ったら、ええねん。」おじさんは、僕を見ていた。

 「辛いのが苦手で、やり過ぎたら食べられなくなんねん。」

 「せやった、せやった。」おじさんは、嘘をついている訳ではなさそうだ。

 知らないと思っていたおじさんは、僕が高校生の頃から常連だった。名もなき子ども食堂で僕が覚えていない人にまで僕のことを覚えてもらっていたことは、不思議な感じもするが、悪い気はしなかった。

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  内閣府の「社会意識に関する世論調査」によると、望ましい地域での付き合いの程度について、2004年は「住民全ての間で困ったときに互いに助け合う」が36.7%だったのに対し、2017年は41.4%と4.7ポイント上昇した。一方、「現在の地域での付き合いの程度」は、「付き合っている」が71.7%から67.0%へ4.7ポイント減少した。特に40代女性は、80.2%から61.5%へ18.7ポイントも少なくなった。

 また、子供・若者白書(2017年版)では、子ども・若者(15歳~29歳)の中でインターネット空間を居場所だと感じる人の割合は62.1%で、学校(49.2%)や地域(58.5%)より高かった。40代の親に10代の高校生で、今の親は地域への関わりがぐっと減り、子どもはインターネット空間を居場所と感じている、と言われると実感もある。僕が名もなき子ども食堂に通っていた頃は、mixitwitterなどのSNSが普及する直前で、学校では「KY(空気読め)」が流行っていた。

 この10年間だけでも、子どもが置かれている状況は大きく変化している。「KY(空気読め)」は死語でなく言うまでもない空気を読むことが当たり前になったのかもしれない。インターネット空間は、一方で日々いろんな情報が秒単位で更新され、常に子どもたちは変化に敏感でいなければいけない。

 日常に組み込まれた「名もなき子ども食堂」が少なくなり、子ども食堂の取組みが広がった。最近は広がった子ども食堂のあり方・やり方について様々な意見が交わされているが、そこに来る子どもにとっての「ゆっこ」や「おじさん」たちさえいてくれれば、それだけでも十分なのではないだろうか。そして、変化に敏感でいなければいけない子どもたちはそこの居場所に「変わらないでいられること」を求めているのかもしれない。

 今回、ゆっこにはじめて自分で代金を払った。僕は、「ツケ」をしない大人になった。最後に、ゆっこは笑顔で「また来てね。」とだけ僕に伝えた。僕は、名もなき子ども食堂に育てられた変わらない「子ども」だった。