村尾政樹の個人ブログ

ソーシャルセクターに勤める29歳の個人ブログ。仕事や活動の記録がメインです。

私が私を許すことができた理由、前編。それは、自分のことを弱い存在だと知ることができたから。

f:id:villagetail:20150717180954j:plain

 学生時代ともに汗をかいた仲間たちが続々と結婚し始めています。その一人の報告を聴いて思い出した言葉があります。その人が言っていた言葉です。その言葉を聴いたころの私(写真右)、なんだか若いですね(笑)。この言葉は、当時を思い出すと私にとっても必要な言葉でした。

 まず、私は11歳(小学校6年生)の時に母を自殺で亡くしましたが、父は仕事に忙しい人でした。父は、私が朝起きるころに家を出て、私が夜寝るころに家へ帰ってくる。母を亡くしてから、まず父から言われたことは『基本的に自分のことは、自分でやること』。ご飯をつくること、洗濯物をすること、掃除をすること。また、幼い弟もいたので、加えて弟の面倒も見ること。私の生活サイクルは、朝起きて学校へ行き、学校が終わると弟を一緒に連れて帰って洗濯機に洗濯物を入れて回し、ご飯をつくり、干してある洗濯物を取り入れて洗った洗濯物を干し、お風呂を洗って浴槽に水を貯めてお湯を沸かし、ご飯を食べて、お風呂に入って、気付いたら寝ていて、起きたら夜中か朝でした。『あ!宿題やってない!』『取り入れた洗濯物をたたんでない!』『部屋にいる弟は何してんだろう』そのようなことは、日常茶飯事。当時、洗濯物をたたんでいないと父から怒られて『洗濯物は取り入れてたたむまでが仕事や!』とよく言われたことを覚えています。

 今、思い返すと無理があったと感じます。だけど、当時の私は、そのことに違和感を感じつつも、嫌になったりもしたけど、母が亡くなって家事をする人がいないから、その生活が当たり前だと思っていました。また、『ご飯って、どうやって炊くん?何回とげばいいん?お湯で炊いたらあかんの?』といったような初歩的なことも近所の幼馴染のお母さんに聴くと優しく教えてくれたので、非常に助かりました。あと、何もしない時間をつくってしまうと母が亡くなったことに対する後悔や自分を責める想いが込みあがってくるので、この生活は、私にとってそのことと向き合わずに済む唯一の方法でした。

 ただ、この『自分のことは自分でやるのが、当たり前』という生活が染みついてしまい、何かできないことがあると私は自分を『ダメなやつ』と思い込み、誰かに助けを求めること、弱いところをみせることがとてつもなく苦手になってしまいました。私の家庭は父子家庭といえども決して経済的な余裕はありませんでしたが、大学進学のための資金を必死にアルバイトと奨学金で賄ったのはその理由よりも『自分のことは自分でやること』、また、『母の死と向き合いたくない』という想いが強くあったのかもしれません。そして、そのような生活は高校を卒業し、進学を機に北海道の大学へ進んでからも続きました。一人暮らしにおいても『何もしないことが、こわい』。そのような無意識に近い感覚で、常に自分を何かにかきたてました。『同じ境遇の子どもたちや困っている人の力になりたい!』と思って進学を志した私は、その志に向かって現在にもつながる活動も始めました。それはそれで必要だったんだと思います。それでも、ついに、そのような生活に心身ともにへし折られる出来事がありました。

 2011年3月11日、東日本大震災。この震災は新たに団体を立ち上げて始めた活動と時期が重なりました。また、阪神・淡路大震災被災した経験もあったので、東日本大震災から1カ月後に避難所100か所を回るボランティア活動にも参加しました。そこで、痛感したことは『自分が無力な存在』だということ。母を亡くしてからずっと突っ走ってきた私は『自分のことは自分でできる』『誰かの力にだってなることができる』と思い始めていたので、その自分に対する無力感、自分が弱い存在だという認識を立ち止まってせざるをえない状況が耐え切れませんでした。かつ、助けを求めたり、弱いところをみせるなんてもってのほか。私は、完全に行き場を失いました。

 自分のことを信じることができなくなりました。自分の志や信念も疑ってしまいます。一層のこと、大学を辞めて人生を考え直そうとも思いました。大学を辞める前に北海道でできた友達に会って、そのことを伝えました。『村尾なら大丈夫!また頑張れるよ!』そのような友達の言葉に、自分への不信感やプレッシャーが更に重くのしかかりました。早く、この状況から逃げ出したい。そして、可愛がっていた後輩にも大学を辞めようと思っていることを伝えました。

「そっか。そうだったんだね。人間くさくて、そっちの方が良いよ。そっちの村尾さんの方が好きだよ。」

 その言葉を聴いて最初は『え?』と思いました。自分の弱いところをみせたり、頑張れない自分は『ダメなやつ』で『かっこ悪い』と思っていたからです。

「昔の村尾さんは、いつも強がっていて、確かに何でも挑戦して何でもできるような雰囲気で頑張っていたけど、今の村尾さんは悩んだり、辛かったり、悲しかったり。とっても、人間らしくて、素敵だと思う。」

 私は、その後輩の言葉と想いから『弱い自分や頑張れない自分も含めて、自分のことを自分として認めてくれる人』の存在に気付くことができました。弱いところがあってもいいんだ。頑張れない時があってもいいんだ。ダメなところもある自分も含めて自分なんだ。そのように、心から思うことができました。

 そして、その『人間くさくて、そっちの方がいい』という自分への気持ちが自分の中にも芽生えて、今までとは違う意味でもう一度頑張ろうと思うことができました。そのような時に、冒頭に述べた仲間が自分の経験をもとに話してくれました。

「自分には弱いところがあることに気付けた。だから、強い。」

 今まで、その仲間の涙を何度も見てきました。分かり合えず、言い争いをしたこともあります。そして、ともに一つの方向に向かって汗も流しました。その仲間とその仲間の言葉は、自分のことを弱い存在、自分にも弱いところがあるものだと知ることができたこと、それが『強さ』だということを私に教えてくれました。

 その仲間と今は進む道が違っても、その仲間の言葉と、その言葉が教えてくれた『強さ』を私は今も噛みしめています。上京して昨日で1カ月が経過しましたが、このことを振り返られて良かったです。本当にありがとう。そして、おめでとう!