村尾政樹のブログ『伝える。』

ソーシャルセクターに勤める26歳の個人ブログ。仕事や活動の記録がメインです。

私が私を許すことができた理由、後編。それは、自分も母親に認められたかったと気付けたから。

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 前回『私が私を許すことができた理由、前編。』を書きました。この話を『前編』としたのは、続きがあったからです。前編は、弱い自分も含めて自分として認めてくれる人に出会えたこと、自分が弱い存在だと気付けた『強さ』を知ることができたことについてでした。

 私は、前編で書いた出来事によって、大学を辞めずにもう一度頑張ろうと思うことができました。しかし、当時は既に大学3年生。このまま4年生になり、卒業し就職をして自分が頑張ろうと思っても、また自分の非力さに打ちのめされるかもしれない。そう考えて私が選んだ道は、海外で1年間滞在することでした。海外での滞在を通して、もっといろんな経験を積みたい、もっといろんな世界を観てみたい。そして、私はトルコへの留学を決めて、2012年春から2013年春まで1年間トルコに滞在しました。なぜトルコという国なのかやトルコでの経験については改めて書いていこうと思いますが、今回はあまり誰にも話したことのない、一つの経験を書こうと思います。

 その経験とは、初めて意識的に『死にたい』と思った経験です。私は日本人一人で自分以外に日本人のいない街で滞在していました。トルコの人たちはとても温かく、本当にお世話になりました。日本で待ってくれている人たちにも遠くから支えていただきました。それでも、私には自分で説明がつかないほど『死にたい』と追いつめられていた時期がありました。もしかしたら、この『死にたい』という感情はトルコでの生活を送る自分に限界を感じた衝動だったのかもしれない。というのも、全く違う環境・文化のなかで何事も10回トライして1回上手くいけば良い方でした。何をどう頑張っても、改善を試みても、上手くいかないことがたくさんありました。自分の努力だけでは何ともならない世界があることを知りました。そして、その自分の努力だけでは何ともならないという事実を受け入れることが自分にとってすごく難しかったのです。『死にたい』と思ったのはだからなのかな、と当時は自分の中で整理しました。しかし、この『死にたい』と思った経験の真意は、トルコから帰国してずっと後で知ることになります。

 まず、トルコから帰国して直ぐ心境の変化に気付きはじめました。その心境の変化に気付くきっかけとなったのは、児童養護施設を舞台としたドキュメンタリー映画『隣る人』です。児童養護施設で暮らすことになった幼い子どもの『お母さん!お母さん!!』と母親から引き裂かれて泣き叫ぶシーンがあり、その時に『私もお母さんがほしい!』という感情を覚えました。いや、覚えたのではなく、埋没されていた感情が湧きでてきたのです。この時は、お母さんがほしいと思ったとしても既に亡くなっているし、他の女性に『お母さん』を求めても他人なんだから仕方がないと、どうすればいいか分かりませんでした。

 そして、そこから2年近く経った今年。2015年1月ごろ。その日はやってきました。『あ、きっと自分は誰かに認められたいんじゃなくて、母親に認めてもらいたかったんじゃないか』と、ふと、感じたのです。このときのシチュエーションは、面白くないほど日常のなかで突然起こりました。仕事帰りの地下鉄に乗っていた時のことです。それでも、ずっと自分が何と戦ってきたのかが分かったのです。それは、自分の『母親に認められたかった』、素直な感情。母親が亡くなってから13年間、私はその素直な感情と戦い続けてきたのでした。

 あの時に『死にたい』と思ったこと。受け止められなかったのは、そこにある『自分の努力だけでは何ともならない』事実ではなく、その事実に対する『助けて』という自分の心の叫び、素直な感情、SOSだったのです。『自分も母親に認められたかったんだ!』という感情が不意に沸き上がったとき、そのことに気付くことができました。

 今まで、ずっと母親に対して『ごめん!』と思い続けてきました。自分が悪かったんだ、自分のせいなんだ、という風に。だけど、自分だって、傷ついた。自分だって、悲しかった。自分だって、辛かった。自分だって、さみしかった。自分だって、認められたかった。埋没されていた11歳の自分の声が13年の時を経て、自分の心に語り掛けてきたのです。そして、そのことを直ぐに友達へ伝えました。

 「そろそろ、自分を許してやっていいんじゃない?十分、今まで頑張ってきたよ。自分を許してあげることが、亡くなったお母さんに認めてもらえる一歩だと思うし、お母さんもきっと喜ぶと思うよ。」

 その友達の言葉をきっかけに、私は私を許そうと思えました。そうすると、今まで背負ってきたものが一気に軽くなり、家に帰って何もしない時間もこわくなくなりました。何より一番大きな変化は、母親のお墓に向かって『ありがとう』と伝えることができ、母親に対して『おかんも自分もお互い大変だったんだね』と思えるようになったことです。

 そのタイミングで偶然に重なったのが、今回の上京です。今の自分は、自分の感情と向き合えず闇雲に『頑張らないといけない』と思っていた、あの時の自分ではありません。そして、何だか、母親も応援してくれているようにも思います。自分を支えてくれる恩が、次の子どもたちへ送ってきたい恩が、また一つ増えました。お母さん、ありがとう。この恩を噛みしめて生きていきたいと思います。