村尾政樹の個人ブログ

ソーシャルセクターに勤める29歳の個人ブログ。仕事や活動の記録がメインです。

必読!「自分はお金のかかる存在」子どもの声と見つめる現実

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 札幌の中心部・狸小路3丁目で、ある高校生から聞いた言葉がある。「奨学金を借りたくないから、進学しない。」その子は遠い目をしながら話してくれた。

 子どもが話す、子どもの現実は私たち大人に深く問いかけてくる。昨日、新宿で久しぶりにお会いした新聞記者は「今の高校生と世代の違いを感じること、ある?」と尋ねた。前職で関わっていた高校生で、その子は母子家庭で育ってきた。修学旅行のお金を貯めるためにアルバイトを始め、「自分はお金のかかる存在」だということをその子は薄々と、母親のことを思い浮かべながら、確実に感じ取っていた。「奨学金って言っても、結局は借金だもんね。」と、遠い目の先には夢ではなく現実を見つめていた。

貧困が奪う希望と与える絶望、そして、自分が「お金のかかる存在」だという現実

 日本学生支援機構奨学金を借りて進学をする学生(大学学部昼間部)は平成20年度(2008年4月入学)で43.3%、平成22年度(2010年4月入学)には7.4ポイント増加し50.7%となった。実に、学生の2人に1人が奨学金を借りて大学へ進学をしている。近年、奨学金の問題は卒業後に奨学金を返したくても返せない人たちが増加していることから取り上げられ始めた。しかし、ただ「返せない」という問題だけではない。

 進学するために奨学金を借りるという「当たり前」になりつつある実態は「進学するには、お金がかかる」ということを今の世代の子どもたちにも語りかけているようだ。奨学金は「借りられない」問題にも広がりつつある。そして、これは単に進学だけでなく「自分はお金のかかる存在」だと子どもに思わせている。この点は、私が高校生だった頃と今の高校生との一つの世代感覚として違いがあるのかもしれない、と私は記者に答えた。

 「自分の家庭が貧困だと認識してしまうと、頑張って働いている母親を否定するようで申し訳なく思ってしまう」

 「毎日夜遅くまで働いているお母さんをみていると、夢を持つとか進学するとか言うことなんてできない」

 「子どもの貧困を解決するためには、子どもの声だけではなく子どもを支える親の声を聴かなければいけない」

 これらの言葉は全て今の職場で学生から聴いた言葉だ。子どもたちは、どこまでも親思いである。だからこそ、「お金のかかる存在」でいてはいけないと思うのだろう。貧困が奪うものは、教育機会や健康的な食事ではなく、生きる希望なのかもしれない。貧困が与えるものは、苦しみや悲しみではなく、絶望と厳しい現実なのかもしれない。

 先日も友人が自分の職場にシングルマザーがいて家計や子どものことで大変そうだと話してくれた。子どもの貧困率が16.3%、ひとり親家庭貧困率が54.6%など数字として実態を把握するだけでは分からない現実が実は直ぐ近くに潜んでいる。

経済的に苦しい子どもとひとり親の希望につなげたい

 子どもに自分のことを「お金のかかる存在」だと思わせ、見渡せば「お金のかかることばかり」で大人になる過程において選択肢を十分に共有できない社会に輝く未来があるのだろうか。長期的な視点で、私たちの社会がどうあるべきなのか考えることが必要だ。ただ、今できる、一つの現実的な一歩として高校等奨学給付金の充実と署名も始まった児童扶養手当2人目以降の加算額増額は絶対に実現したい。

 児童扶養手当奨学金とは違い、進学が主たる目的という訳ではない。それでも、その実現は「子どもを育てるのには、お金がかかる。でも、そのお金がかかる分は社会全体で少しでも負担していこう」という経済的に苦しい子どもやひとり親へのメッセージにつながると信じているからだ。まずは、小さな希望を子どもとひとり親家庭に生み出したい。ぜひ、みなさまもご協力ください。

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