村尾政樹の個人ブログ

ソーシャルセクターに勤める29歳の個人ブログ。仕事や活動の記録がメインです。

子どもの貧困≒貧乏+困りごと? ~私の家庭は貧乏だったけど、貧困じゃなかった~

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昨日10日は、公開シンポジウム『子どもの貧困指標ー研究者からの提案ー』に参加してきました(貧困統計ホームページ http://www.hinkonstat.net/ )。

子どもの貧困という言葉が社会に広がり始めた2009年に私は大学へ入り、子どもの貧困対策法制定へ向けた実践側の動きに関わってきました。また、大学の講義などで子どもの貧困研究に取り組む教授や研究者の人ともご縁があり、温かくご指導いただきました。当時と比べて『子どもの貧困』という言葉を聞いた経験のある人が増えてきたことを実感しています。そのような中で、児童養護施設で育った知人が話されていた言葉を思い出します。

「僕が施設にいた頃と比べると児童養護施設や里親など社会的養護の認識は広がったけど、決して理解が深まったと僕は思っていない。」

このことは子どもの貧困に関しても当てはまることだと思っています。この問題への関心が高まっていること、全国各地で対策の実践例が増えていることは大いに歓迎すべきことです。しかし、正直なところ、子どもの貧困という言葉だけが先走っていることも否めません。そこで、子どもの貧困という言葉を誰も知らなかったような頃からこの問題に注目し続けていた研究者が『子どもの貧困指標検討チーム』として今回のシンポジウムで子どもの貧困指標について提案を行いました。

そもそも、子どもの貧困とは一体、何者なのでしょうか。経済的な事情によって進学することができない、1日3回ご飯を食べることができない、6人に1人の子どもが貧困状態である、日本国内に320万人もの貧困世帯で暮らす子どもがいる。いま、子どもの貧困対策関係者らはあらゆる表現で子どもの貧困の認識を広げよう、理解を深めようとしています。シンポジウムで研究者は「子どもの貧困が子どもにどのような影響を与えているか、またはその後の人生にどのような影響を与えるか、それらのことも非常に重要だが、今は『子どもの貧困をどのようにとらえるのか』が必要である。」と話されていました。このことは、ずっと私が疑問を持って考えてきたことと同じでした。私がそのように考え始めたのは、ある学生の言葉を聴いたことがきっかけでした。

「私の家庭は貧乏だったけど、貧困じゃなかった。」

この言葉を話してくれた学生は母子家庭で育ち、決して経済的な余裕があった訳ではありません。言葉遊びのようにも聞こえますが、しかし、その学生の話から非常に深い言葉だということを感じさせられました。更に、客観的にみると『貧困』に値してもおかしくない別の人からも「私は当事者ではない。」という話を聴いたことがあったので、以前から何だか違和感を感じていました。そのこともあったので「何で貧乏だったけど貧困じゃないと思うの?」と聞いてみると、その学生は「私は恵まれていてほとんど困ったことがなかった。」と答えます。ああ、なるほど、経済的に苦しくても困ったと思わなければ貧困ではないのかもしれない。そう思いました。貧困=貧乏なのではなく、貧困≒貧乏+困りごと。何だかストンと落とし込めました。

『子どもの貧困率』は世帯の所得から貧困線というラインを導き出して、そのラインより所得が少ない世帯の子どもを『子どもの貧困』としています。しかし、経済面だけの指標では学生の言葉に沿って考えると『貧困』はとらえられません。シンポジウムでは経済面からの検討に加えて『物質的剥奪指標』が必要だと提案されていました。この『物質的剥奪指標』が学生の言葉でいう『困りごと』に値するんだと思います。例えば、電子レンジや冷蔵庫から修学旅行、高校・専門学校までの教育など当たり前と言ってしまえば当たり前なのかもしれない、これらが奪われていることを物質的剥奪と言います。ここで『当たり前』という言葉が非常に難題で、何が子どものある世帯の必需品なのか、または子どもの必需品なのか、よく検討しなければいけません。それでも、この『当たり前』が奪われている状態≒困りごとで、それが経済的な事情によって起きているということが『貧困』だととらえることができます。

ここで注意を払わなければいけないことは『じゃあ、その困りごとさえなくせば、問題ないんじゃないの?』という疑問です。研究者も何度も強く「この指標は、子どものウェルビーイング指標でも子どもの幸福度指標でもなく、あくまで子どもの貧困指標であることが大切です。」と話されていました。確かに困りごとさえなくなれば学生の言葉である『貧乏だけど、貧困じゃない』というような状態で、もしかすると問題ないのかもしれません。しかし、子どもの貧困をとらえる時に重要だと思うのは、『貧困≒貧乏+困りごと』という仮定において『貧乏』と『困りごと』に加えて『+』の部分に注目することです。つまり、経済的な要因がそれらの困りごととどれだけ密接な関連を持っているのか、つながっているのか。そこの視点が抜け落ちてしまった途端に、理解が深まらず対策が進まない大きな要因につながる可能性は高まります。今の社会システムで『お金』は人々の生活に大きな役割があることは言うまでもありません。もちろん『お金』が全てではありません。しかし、『お金』が占めるウェイトはとてつもなく大きいです。しかも、収入は増えなくても支出が減ればいいものの、最近の情勢から考えると、収入は増えないけど支出は増えていく一方です。従って、あくまで『経済的な要因がさまざまな困りごとを招く深刻な事態になっている』といったようなとらえ方で、経済面に対してもアプローチが必要不可欠です。

子どもの貧困対策法が成立し、いま、まさに対策が本格的に始まろうとしている中、今回の考察に加えて他にも「子どもの固定貧困率」という考え方など非常に貴重な学びを学生の言葉とシンポジウムから得ることができました。今後も引き続き、コツコツと頑張ってまいります。

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・記事における解釈や見解は私が所属している団体のものではなく、あくまで私個人のものです。ご了承ください。

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