村尾政樹の個人ブログ

ソーシャルセクターに勤める29歳の個人ブログ。仕事や活動の記録がメインです。

伝える。8/名もなき子ども食堂と、大人になった「子ども」

f:id:villagetail:20171015185850j:plain

 名もなき子ども食堂は、変わっていなかった。変わったところは、お店の内装が黒めの色に塗り替えられていたところくらいだ。

 「あれ、壁の色変わった?」と、僕は店主のゆっこに聞く。久しぶりだから、変わっているところはたくさんあるかもしれないが…。

 「お!よく気づいたな!せやねん、変わってん。どう?」

 「暗いわ!」と、見知らぬおじさんがつっこんでくる。たぶん、常連さんだろう。

 「んー、シックな感じでええんちゃうかな。」僕は、遠慮気味に答えた。

 「若い子はそう言ってくれるねん。人ができてるわ笑」

 「テレビも地デジに変わったよな…。」今度は、父親がそう答える。

 「テレビは、そらみんな変わっとるわ!笑」ゆっこの優しく鋭いつっこみも変わっていなかった。

 この「名もなき子ども食堂」は、僕が高校生のときによく通っていたお好み焼き屋さんだ。ゆっこは、父親の同級生。僕は、放課後「よっ!」と一人で店に入り、「ごちそうさま!」と店を出る。代金は、いつも「ツケ」。時は、2006年~2008年。もちろん、子ども食堂という取組みは「なかった」。

 2009年に初めて子どもの貧困率が公表され、2013年に「子どもの貧困対策法」が成立した。法律成立後、各地で子ども食堂の取組みが広がり、今では全国で約300カ所以上と言われている。

 今晩は、還暦を迎えた父親のお祝いで約10年ぶりにお店へ向かった。

f:id:villagetail:20171015193610j:plain

 お好み焼きと焼きそばの少しあっさりとした、懐かしい味も変わっていなかった。母親は死んでいるので「おかんの味」とはこういうことなのかな、とお腹だけじゃなく何だか心までいっぱいになってくる。

 「ほら、覚えてる?この子、10年くらい前によく来てたやん。」ゆっこは、さっきの見知らぬおじさんに声をかける。

 「覚えてる、覚えてる。その辺に座ってたやんな。」おじさんにとって、僕は見知らぬ若者ではないようだ。

 お店では、お好み焼きや焼きそばと一緒に辛い「どろソース」が出される。僕は辛いのが苦手で普段は使わないが、今回は少しだけ試してみようとする。

 「上から塗ったら、ええねん。」おじさんは、僕を見ていた。

 「辛いのが苦手で、やり過ぎたら食べられなくなんねん。」

 「せやった、せやった。」おじさんは、嘘をついている訳ではなさそうだ。

 知らないと思っていたおじさんは、僕が高校生の頃から常連だった。名もなき子ども食堂で僕が覚えていない人にまで僕のことを覚えてもらっていたことは、不思議な感じもするが、悪い気はしなかった。

f:id:villagetail:20171015205046j:plain

  内閣府の「社会意識に関する世論調査」によると、望ましい地域での付き合いの程度について、2004年は「住民全ての間で困ったときに互いに助け合う」が36.7%だったのに対し、2017年は41.4%と4.7ポイント上昇した。一方、「現在の地域での付き合いの程度」は、「付き合っている」が71.7%から67.0%へ4.7ポイント減少した。特に40代女性は、80.2%から61.5%へ18.7ポイントも少なくなった。

 また、子供・若者白書(2017年版)では、子ども・若者(15歳~29歳)の中でインターネット空間を居場所だと感じる人の割合は62.1%で、学校(49.2%)や地域(58.5%)より高かった。40代の親に10代の高校生で、今の親は地域への関わりがぐっと減り、子どもはインターネット空間を居場所と感じている、と言われると実感もある。僕が名もなき子ども食堂に通っていた頃は、mixitwitterなどのSNSが普及する直前で、学校では「KY(空気読め)」が流行っていた。

 この10年間だけでも、子どもが置かれている状況は大きく変化している。「KY(空気読め)」は死語でなく言うまでもない空気を読むことが当たり前になったのかもしれない。インターネット空間は、一方で日々いろんな情報が秒単位で更新され、常に子どもたちは変化に敏感でいなければいけない。

 日常に組み込まれた「名もなき子ども食堂」が少なくなり、子ども食堂の取組みが広がった。最近は広がった子ども食堂のあり方・やり方について様々な意見が交わされているが、そこに来る子どもにとっての「ゆっこ」や「おじさん」たちさえいてくれれば、それだけでも十分なのではないだろうか。そして、変化に敏感でいなければいけない子どもたちはそこの居場所に「変わらないでいられること」を求めているのかもしれない。

 今回、ゆっこにはじめて自分で代金を払った。僕は、「ツケ」をしない大人になった。最後に、ゆっこは笑顔で「また来てね。」とだけ僕に伝えた。僕は、名もなき子ども食堂に育てられた変わらない「子ども」だった。