2017年の活動と自己紹介
2017年も深いご理解とご協力を賜り、本当にありがとうございました。今年も引き続き何卒よろしくお願いいたします。
2017年は『伝える。』をテーマに登壇や掲載の機会が50回ありました。母の死から15年が経過し、ハートネットTVやNHKスペシャルへの出演、社会福祉士の合格、人間力大賞、イギリス視察、知事・市長も登壇した北海道でのフォーラムへの登壇など貴重な機会がたくさんありました。
残り少なくなってきた20代、人生の基礎固めを確かなものにしながら、少しでも次の世代の子どもたちや今を踏ん張る人たちが活動を通して「良かった」と感じられる明日に向けて2018年も取り組みをすすめてまいります。
▼2017年の主な活動記録
<2017年1月>
「こども食堂サミット2017~こども食堂のつづけ方~」に登壇
NHK(Eテレ)ハートネットTV「ブレイクスルー」で特集
琉球新報にコメントが掲載「温かい気持ち届けたい」沖縄の高校生が募金活動
<2017年2月>
札幌市子ども・子育て会議児童福祉部会に出席
山形県で「子どもの貧困対策 全国キャラバン」を開催、登壇
NHKニュース(山形)で全国キャラバンが紹介、コメント
NHKスペシャル「見えない"貧困"~未来を奪われる子どもたち~」出演
「子どもの貧困対策 レベルアップ研修会」開催、登壇
時事通信社「厚生福祉」の記事にコメントが掲載
教職員を対象とした講演会で登壇「子どもの貧困対策 私たちにできること」
<2017年3月>
北海道新聞に記事が掲載「水曜討論『社会全体で応援 認識を』」
発起人である若者自殺対策全国ネットワークで意見交換会を開催
内閣府主催 子供の貧困対策マッチング・フォーラムに登壇
母の死から15年の想いをまとめた寄稿記事がYahoo!ニュースに掲載
全国の小中学生を対象とした合宿キャンプを開催、学生スタッフのサポート
<2017年4月>
入学・新生活を迎える2200人以上の子ども・若者へ給付金を支給
登壇した子供の貧困対策マッチング・フォーラムの内容が内閣府HPに掲載
<2017年5月>
子どもの日に合わせてチャリティ専門ブランドJAMMINとコラボ
母の日に合わせて書いた寄稿記事がYahoo!ニュースに掲載
大学生世代の「子どもサポーター研修」を開催、全体コーディネート
お医者さんや医療機関を対象とした講演会で登壇
<2017年6月>
先駆的な研究を行う貧困研究会の雑誌「貧困研究 vol.18」に寄稿
子どもの貧困対策法成立4周年・財団設立周年行事を開催、登壇
埼玉県で地域活動を展開するNPO法人の総会で講演
<2017年7月>
千葉県で「子どもの貧困対策 全国キャラバン」を開催、登壇
スコットランドを中心に一週間のイギリス視察、現地団体を訪問
日本青年会議所が行う「第31回 人間力大賞」で会頭特別賞を受賞
<2017年8月>
東京都港区主催「子どもの未来応援フェスタ」開催、全体コーディネート
全国の高校・大学生世代を対象とした合宿ミーティングを開催、学生サポート
札幌市子ども・子育て会議児童福祉部会に出席
<2017年9月>
若者自殺対策全国ネットワークでフォーラムを開催、全体コーディネート
朝日新聞 特集記事「分断世界」にコメントが掲載
<2017年10月>
地元・神戸市での講演会に登壇「子どもの貧困問題を可視化する」
入学・新生活を迎えた全国の子どもと家庭に大規模アンケートを実施
<2017年11月>
ハフィントンポストでコラム記事の寄稿開始
神戸新聞に講演会の記事が掲載「健康格差生む 子どもの貧困」
山口県で「子どもの貧困対策 全国キャラバン」を開催、登壇
岡山県で若者が主催する「岡山ユースミーティング」に登壇
香川県で「子どもの貧困対策 全国キャラバン」を開催、知事も出席
NHK(Eテレ)ハートネットTV「ブレイクスルー」がアンコール放送
<2017年12月>
子どもの貧困への理解を求める全国集会を開催、登壇
札幌市子ども・子育て会議児童福祉部会に出席
知事・市長も出席した北海道でのフォーラムにパネリストとして登壇
東京都港区主催の子どもの未来を応援する交流会を開催、全体コーディネート
北海道新聞にフォーラムの特集記事が掲載「困窮世帯に必要な対策は」
村尾政樹(むらお・まさき)
1990年、兵庫県神戸市生まれ。子どもの貧困対策を推進する「公益財団法人あすのば」事務局長。社会福祉士。
小学6年の春に母親が自殺で亡くなる。家庭環境から就職を考えて商業高校へ進学するが、同じ境遇の仲間との出会いをきっかけに進学を志す。北海道大学教育学部に進学、困難状況にある子ども・若者の主体形成について研究。2010年、北海道の自殺対策や子どもの貧困対策を推進するネットワークを立ち上げる。
大学卒業後は、札幌市で地域の子どもを支える公益法人に就職するが、進まない子どもの貧困対策への危機感から2015年に上京。全国で先駆的に取り組みを行う支援者や研究者、学生たちと団体を設立し、事務局長に就任。子ども・若者の「生きる」が大切にされる社会を目指して全国で活動を展開。
体験談や子どもの現状と声を伝える講演・新聞掲載の機会は150回を超え、ハフィントンポストにコラム記事も執筆。札幌市子ども・子育て会議児童福祉部会委員。トルコに1年間留学し、出演した映画が第67回カンヌ国際映画祭パルムドール対象受賞。
好きな食べ物はグミ、チョコボール、お寿司のサーモン、セイコーマートのカツ丼。
2016年の活動と自己紹介 - 村尾政樹のブログ『変化と感謝』
2015年までの活動・講演・報道など - 村尾政樹のブログ『変化と感謝』
毎日新聞 ストーリー「貧困と向き合う若者たち 生きづらさと闘う」
https://mainichi.jp/articles/20160724/ddm/010/040/042000c
Yahoo!ニュース「母を自殺で失った25歳が、「子どもの貧困」対策センターを立ち上げるまで」
https://promotion.yahoo.co.jp/news/social_contribution/1608/
伝える。8/名もなき子ども食堂と、大人になった「子ども」
名もなき子ども食堂は、変わっていなかった。変わったところは、お店の内装が黒めの色に塗り替えられていたところくらいだ。
「あれ、壁の色変わった?」と、僕は店主のゆっこに聞く。久しぶりだから、変わっているところはたくさんあるかもしれないが…。
「お!よく気づいたな!せやねん、変わってん。どう?」
「暗いわ!」と、見知らぬおじさんがつっこんでくる。たぶん、常連さんだろう。
「んー、シックな感じでええんちゃうかな。」僕は、遠慮気味に答えた。
「若い子はそう言ってくれるねん。人ができてるわ笑」
「テレビも地デジに変わったよな…。」今度は、父親がそう答える。
「テレビは、そらみんな変わっとるわ!笑」ゆっこの優しく鋭いつっこみも変わっていなかった。
この「名もなき子ども食堂」は、僕が高校生のときによく通っていたお好み焼き屋さんだ。ゆっこは、父親の同級生。僕は、放課後「よっ!」と一人で店に入り、「ごちそうさま!」と店を出る。代金は、いつも「ツケ」。時は、2006年~2008年。もちろん、子ども食堂という取組みは「なかった」。
2009年に初めて子どもの貧困率が公表され、2013年に「子どもの貧困対策法」が成立した。法律成立後、各地で子ども食堂の取組みが広がり、今では全国で約300カ所以上と言われている。
今晩は、還暦を迎えた父親のお祝いで約10年ぶりにお店へ向かった。
お好み焼きと焼きそばの少しあっさりとした、懐かしい味も変わっていなかった。母親は死んでいるので「おかんの味」とはこういうことなのかな、とお腹だけじゃなく何だか心までいっぱいになってくる。
「ほら、覚えてる?この子、10年くらい前によく来てたやん。」ゆっこは、さっきの見知らぬおじさんに声をかける。
「覚えてる、覚えてる。その辺に座ってたやんな。」おじさんにとって、僕は見知らぬ若者ではないようだ。
お店では、お好み焼きや焼きそばと一緒に辛い「どろソース」が出される。僕は辛いのが苦手で普段は使わないが、今回は少しだけ試してみようとする。
「上から塗ったら、ええねん。」おじさんは、僕を見ていた。
「辛いのが苦手で、やり過ぎたら食べられなくなんねん。」
「せやった、せやった。」おじさんは、嘘をついている訳ではなさそうだ。
知らないと思っていたおじさんは、僕が高校生の頃から常連だった。名もなき子ども食堂で僕が覚えていない人にまで僕のことを覚えてもらっていたことは、不思議な感じもするが、悪い気はしなかった。
内閣府の「社会意識に関する世論調査」によると、望ましい地域での付き合いの程度について、2004年は「住民全ての間で困ったときに互いに助け合う」が36.7%だったのに対し、2017年は41.4%と4.7ポイント上昇した。一方、「現在の地域での付き合いの程度」は、「付き合っている」が71.7%から67.0%へ4.7ポイント減少した。特に40代女性は、80.2%から61.5%へ18.7ポイントも少なくなった。
また、子供・若者白書(2017年版)では、子ども・若者(15歳~29歳)の中でインターネット空間を居場所だと感じる人の割合は62.1%で、学校(49.2%)や地域(58.5%)より高かった。40代の親に10代の高校生で、今の親は地域への関わりがぐっと減り、子どもはインターネット空間を居場所と感じている、と言われると実感もある。僕が名もなき子ども食堂に通っていた頃は、mixiやtwitterなどのSNSが普及する直前で、学校では「KY(空気読め)」が流行っていた。
この10年間だけでも、子どもが置かれている状況は大きく変化している。「KY(空気読め)」は死語でなく言うまでもない空気を読むことが当たり前になったのかもしれない。インターネット空間は、一方で日々いろんな情報が秒単位で更新され、常に子どもたちは変化に敏感でいなければいけない。
日常に組み込まれた「名もなき子ども食堂」が少なくなり、子ども食堂の取組みが広がった。最近は広がった子ども食堂のあり方・やり方について様々な意見が交わされているが、そこに来る子どもにとっての「ゆっこ」や「おじさん」たちさえいてくれれば、それだけでも十分なのではないだろうか。そして、変化に敏感でいなければいけない子どもたちはそこの居場所に「変わらないでいられること」を求めているのかもしれない。
今回、ゆっこにはじめて自分で代金を払った。僕は、「ツケ」をしない大人になった。最後に、ゆっこは笑顔で「また来てね。」とだけ僕に伝えた。僕は、名もなき子ども食堂に育てられた変わらない「子ども」だった。